ロシア語文献解説

ここではロシア語文献表から特に重要なものをピックアップして簡単な解説をします。

 

 Бахтерев И. Когда мы были молодыми.

バーフテレフ『ぼくらが若かった頃』

オベリウ・グループの一人バフテレフによる、ザボロツキーを巡る回想。ただし、ザボロツキーのみならずハルムスやヴヴェジェンスキー等についての言及も多く、研究者からもしばしば引用される文献です。

主にオベリウ成立の歴史について記述されています。ハルムスがかつて所属していた「左翼」グループ、そのリーダーであるトゥファノフとヴヴェジェンスキーの口論、「左翼」の解体、演劇グループ「ラジクス」とハルムス・ヴヴェジェンスキーの協同、そして「オベリウ」の誕生。有名な「オベリウ宣言」(オベリウのマニフェスト)についても解説が試みられています。主義主張を掲げないというオベリウの性格が特記されている他、ザボロツキーとヴヴェジェンスキーの立場の違いも言及されています。更に、オベリウの夕べ「左翼の三時間」について詳述されています。

 

Герасимова А. ОБЭРИУ (проблема смешного).

ゲラーシモワ『オベリウ(滑稽の問題)』

いまロシアで歌手として活躍するゲラーシモワは、モスクワ大学に博士論文を提出した才媛。この論文は、それが基になっています。やはり研究者からしばしば引用される重要文献であり、とりわけハルムス作品における笑いを研究する際には欠かすことのできない論文でしょう。

オベリウの詩学全般を扱う他に、オレイニコフ、ザボロツキー、ヴヴェジェンスキー、ハルムスの各々について特筆しており、とりわけハルムスの考察に関しては、その要諦は「滑稽の問題というよりは倫理学の問題」です。 「つまり、ハルムス作品における初期から後期への詩学の移行を、美学的実験から倫理学的実験への移行として捉え、ハルムス作品の倫理的側面に照明を当てているのである。ゲラーシモワの論文においては、滑稽は無意味と結び付き、更に非功利的なもの、と言い換えられる。この無意味あるいは非功利的なものが、ハルムス作品では実験対象となり、具体的にはそれは初期においては「言葉」を、後期においては「行為」を表している。テキスト上に無意味な言葉を実験的に記述することは、すなわち美学的な領域に属し、一方で無意味な行為を実験的に記述することは、すなわち倫理学的な領域に属する。このように、ゲラーシモワは「滑稽」を媒介として、ハルムス作品の初期から後期への転換を、美学(エステチカ)から倫理学(エチカ)へと図式化してみせたのである」(拙論「ハルムス(笑いの問題)」『れにくさ』3号、2012年)。

 

Друскин Я.С. «Чинари».

ドゥルースキン『チナリ』

ドゥルースキンによる「チナリ」というエッセーはバリアントが幾つかありますが、『オーロラ』誌に掲載されたものが最もよく引用されます。

ここでは、まず「チナリ」というグループの名前とその歴史が解説されます。「チナリ」は、ドゥルースキン、リパフスキー、ヴヴェジェンスキーの交友の中で生まれたサークルであり、そののちにハルムスとオレイニコフが加わりました。ドゥルースキンによれば、「チナリ」という言葉はヴヴェジェンスキーの考案したものであり、それは「チン」すなわち精神的な官位を意味するものに由来しているのではないか、と言います。

また、ヴヴェジェンスキーとハルムスの詩学について、ドゥルースキンは幾つかの視座から説明を試みています。彼は、ハルムスを惹き付けたテーマは3つあったと言います。一つ目は「奇跡」、二つ目は「無意味と脱論理」、そして最後は「悪」です。ハルムスにおける「無意味と非論理」に関して、ドゥルースキンは次のように書いています。「彼の短編や詩には、無意味や脱論理と呼ばれているものがある。無意味で脱論理的なのは彼の短編ではなく、彼がそこに書いている人生である」。つまり、ドゥルースキンによれば、ハルムス作品における無意味や脱論理は、現実の無意味や脱論理を暴き出す手段なのです。

他に、チナリのメンバーにとって重要な概念「ヒエログリフ」「隣の世界」「使者」についても言及されています。 

 

Жаккар Ж.-Ф. Даниил Хармс и конец русского авангарда.

ジャッカール『ダニイル・ハルムスとロシア・アヴァンギャルドの終焉』

 ハルムス研究史上、おそらく最も重要な著作。原著はフランス語ですが、こうしてロシア語でも読むことができます。目次が非常に詳細なため、まだロシア語で読むことが苦手な読者も好きな箇所だけ参照することが可能です。その意味で、初心者から上級者まで、あらゆるハルムス愛好家に役立つ奇跡的な本。また、注の分量が凄まじく多く、当時のハルムス関連文献をほぼ網羅、その徹底的な資料調査は異常といえる程です。

第一章「ザーウミ」、第二章「ツィスフィニトゥムの論理」、第三章「チナリ」、第四章「リアルな芸術から不条理へ」という四章構成です。第一章では、クルチョーヌイフやフレーブニコフ、トゥファノフらの詩と比較考量される形で、主に1920年代の初期ハルムスの詩が分析されています。第二章では、1920年代のハルムスの哲学的文章が、マレーヴィチやマチューシンといった芸術家も併せて論じながら、検討に付されています。第三章では、チナリのメンバー(ドゥルースキンとリパフスキー)との関わりのなかで、ハルムスの様々な作品が俎上に載せられています。第四章では、オベリウに関する仔細が記述され、さらに『エリザヴェータ・バム』から後期の散文作品まで分析対象になっています。この章では、ハルムスの作品がイヨネスコ、ベケット、またゴーゴリらと多く比較されています。このように、ジャッカールの研究はハルムスの生涯にわたる創作全般を他の多くの芸術家たちと対照させながら、詳細に且つ総合的に論述した画期的な著作であり、その価値は今後高まることはあっても、薄れることはないでしょう。ハルムスについて真剣に研究しようとする者は、まずジャッカールの著作を参照しなければなりません。

 

Ичин К. (ред.-сост.) Хармс-авангард.

イチン編『ハルムス-アヴァンギャルド』

ハルムス関連の論文集。かなり大部。

これは2005年12月にベオグラードで行われた、ハルムス生誕100年記念の国際会議における研究者たちの報告を纏めたもので、会議に参加した上智大学の村田真一教授が、その模様をインターネット上に公開しています。以下、その引用。

「予想どおり、ハルムス研究のさまざまなアプローチが提示されたが、これは、不条理という表現では括りきれないハルムスの重層的な作品世界が日ましにその芸術的価値を高めつつあり、それ自体がドラマともいえるハルムスのベールに包まれた生涯と創作活動を解明する作業が着実に進んできたことを証明している。

 マヤコフスキーの詩の宗教性に関する卓越した論考で知られるワイスコフ氏がザボロツキーとプラトーノフの作品からハルムスの詩のメタファーを分析すると、トルスタヤ氏はアヴァンギャルドの変容の本質に鋭く迫り、ハルムス研究の泰斗メイラフ氏がこの作家の研究史と課題を総括するといった具合である。このほか、ハルムスの短編のもつドキュメンタリー性を指摘し、政治的・法律的視点を打ち出した、M.オデスキー、M.スピヴァーク両氏(いずれもモスクワ)による研究も斬新である。私は、ハルムスの『エリザヴェータ・バム』とスホヴォー=コブイリンの『タレールキンの死』を比較し、両者のシュルレアリスム的劇作法の共通性と差異を明らかにする試みを行なった。

 とくに強い感銘を与えたのは、理論的研究に反旗を翻すかのように、実証的かつインターテクスチュアルな労作を精力的に発表し続けるヨヴァノヴィチ氏とイチン氏の報告である。この共同研究は、ハルムスの「祈り」の詩に見られる預言性に着目し、それをレールモントフの伝統の発展的継承と捉えたものであり、ヴヴェ ジェンスキーのエレジー分析でもその冴えを見せたイチン氏の切れ味が光るみごとな内容だった。

 ほかにも、コブリンスキー、D.トカレフ(いずれもサンクトぺテルブルク)、O.レクマーノフ(モスクワ)氏など、ハルムス作品とロシアの文化や思想の関わりに焦点をあてた優れた発表が目白押しだった。」 

http://yaar.jpn.org/robun/kokusai/2005kharms.html

 

 

Кобринский А.А. (ред.) Столетие Даниила Хармса. Материалы международной научной конференции, посвященной 100-летию со дня рождения Даниила Хармса.

コブリンスキー編『ダニイル・ハルムスの世紀 ダニイル・ハルムス生誕100周年記念国際学会資料集』

ハルムス関連の論文集。手ごろなサイズで読みやすい。

「ハルムスとカフカ」「ハルムスとドストエフスキー」「ハルムスとフレーブニコフ」「ハルムスとザボロツキー」「ハルムスとヴヴェジェンスキー」「ハルムスとデュシャン」などの比較分析の他、「ハルムスにおける埋葬」「ハルムスにおける登場人物の名前」「ハルムスにおけるリアル概念」「ハルムスにおける数字」 といったテーマ論、更には個々の詩や散文の分析まで、多様な論文が収録されています。

 

Кобринский А.А. Даниил Хармс.

コブリンスキー『ダニイル・ハルムス』

第一線のハルムス研究者の書いたハルムスの伝記。「偉人伝」シリーズという、ロシアではポピュラーな本ですが、単なる伝記ではなく、ハルムスの創作についても多く紙面が割かれており、参考になります。しかしながら、一般書という体裁を取っているためか、基本的に注がないのは残念なことです。なお、2008年の初版本には索引も存在しませんが、翌年の第二版からは索引が付きます。

 

Сажин В.Н. (сост.) «...Сборище друзей, оставленных судьбою». А. Введенский, Л. Липавский, Я. Друскин, Д. Хармс, Н. Олейников: «Чинари» в текстах, документах и исследованиях.

サージン編『《…運命に見放された友人たちの集い》 ヴヴェジェンスキー、リパフスキー、ドゥルースキン、ハルムス、オレイニコフ: 《チナリ》のテキスト、資料、研究』

これは論文集ではなく、「チナリ」サークル(ハルムスが属していたサークル)の二巻本の作品集です。タイトルからも分かる通り、ヴヴェジェンスキー、リパフスキー、ドゥルースキン、ハルムス、オレイニコフの作品が収録されています。ちなみにドゥルースキンのエッセー「チナリ」はここにも掲載されています(『オーロラ』誌とは別のバリアント)。

 

Шубинский В. Даниил Хармс: жизнь человека на ветру.

シュビンスキー『ダニイル・ハルムス: 吹きさらしの人生』

ハルムスの大部の伝記。前述のコブリンスキーの伝記に比べ、かなり詳細にハルムスの人生について解説が試みられています。図版も多数収録。 コブリンスキーの伝記が、ハルムスの伝記的事実についても言及しつつ、彼の創作の諸問題についても同等かそれ以上に論及しているのに対して、シュビンスキーの伝記はハルムスの生活により密着したものであり、文字通り微に入り細を穿ってそれまでヴェールに包まれてきた彼の人生を解き明かそうとしています。したがって、コブリンスキーの伝記はより詩学に焦点を当てた研究書に近く、シュビンスキーの伝記はいわゆる「伝記」らしいものとなっています。ただし、その念の入った調査は驚異的で、ハルムスにまつわる些事が次々と掘り起こされています。 

 

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Вранеш А., Ичин К. (ред.) Научные концепции ⅩⅩ века и русское авангардное искусство. Белград, 2011.

ヴラネシ&イチン編『20世紀の科学思想とロシア・アヴァンギャルド芸術』ベオグラード、2011年。

 

Грубачич С., Ичин К. (ред.) Авангард и идеология: Русские примеры. Белград. 2009.

グルバチチ&イチン編『アヴァンギャルドとイデオロギー: ロシアの事例』ベオグラード、2009年。

 

Театр. 1991. No.11.

『演劇』1991年11号。

上記の3冊は、ハルムス関連の論文を多数収録しています。 最後の雑誌『演劇』はオベリウ特集号。

 

Буренина О. (ред.) Абсурд и вокруг. М., 2004.

ブレニナ編『不条理と周辺』モスクワ、2004年。

この本にはジャッカールの論文「『ツィスフィニトゥム』と死」が収録されていますが、文献表には表記していません。同じものが

Жаккар Ж.-Ф. Литература как таковая. От Набокова к Пушкину: Избранные работы о русской словесности. М., 2011.

ジャッカール『文学それ自体 ナボコフからプーシキンへ: ロシア文学研究選』モスクワ、2011年。

に再掲されているからです。