赤い太陽、あるいは『耳をすませば』の或る見方について ("Щепот сердца")

『耳をすませば』が劇場公開された1995年、初めて金曜ロードショーで放映された1996年、そしてそれからしばらくの間、『耳をすませば』はぼくらにとって憧れの対象でした。あんな素敵な出会いをしたい、聖司や雫と同じように夢を追いたい。

 

2000年以降も、ぼくは同じ気持ちを持ちつづけていましたが、周囲は違いました。2004年頃からでしょうか、「鬱映画」というレッテルを貼る人たちが徐々に目につくようになりました。映画に描かれている青春があまりに眩ゆいため、そういう青春を送れなかった自らを省み「鬱」になってしまう、というところからそう呼ばれ出したようです。

 

素敵なものを見たとき、なぜ憧れるかわりに鬱になるんだろう、妙な人がいるものだ、と当時のぼくは思い、ほとんど気に留めませんでした。しかし、2000年代も後半になるにつれ、そういう「妙な」見方は増えてゆきます。主にネットを中心に、『耳をすませば』はもはや「鬱映画」の代名詞になってしまいました。

 

身近な人までもがネットと同様の意見を口にし、「鬱になるよ」と笑いながら言う始末です。いつの間にか、ぼくにとって「妙な」見方はネットもリアルも席巻し、聖司と雫に憧れるぼくのような見方こそ、「妙な」ものに逆転してしまったようです。

 

ここで、ずっと昔の話をしたいと思います。幼稚園に通っていたとき、絵を描く時間がありました。題材は覚えていませんが、皆、外で遊んでいる光景を描いていたような記憶がうっすらあります。はっきり覚えているのは、どの画用紙にもクレヨンで赤く塗られた太陽が鎮座していたこと。そして、さらにはっきり覚えているのは、それを見たときのぼくの気持ち。「なんで太陽が赤いの?」

 

真昼の空に光る太陽は、もちろん赤くありません。ぼく以外の園児は、太陽が宇宙空間に真っ赤に燃える火の球だということを知っていたのでしょう。当時のぼくには、その知識がありませんでした。だから、赤ではなく黄のクレヨンを手にしたのです。

 

ちなみに、「ぼくだけがありのままの世界を描いた」と言うつもりはまったくありません。光を黄色で表現するのはやはり慣習的ですし、そもそも戸外を描くのに太陽が欠かせないという法もないわけですから。

 

いま、自分の幼稚園の話をしたのは、『耳をすませば』についてのぼくの言う「妙な」見方も、一種の「赤い太陽」なのではないかと思うからです。「鬱映画」だという知識が、先入観が、観る者の眼を曇らせているのではないか、知識の赤い太陽が園児の眼を眩ませていたように?

 

改めて断っておきますが、「ぼくだけが映画の真実を見ている」と言うつもりはまったくありません。多かれ少なかれ、人は何らかの知識や経験に見方を左右されてしまうものですから。ただ、ネットで安売りされている色眼鏡を掛けていることに無自覚に瞳に映った風景をさも自分の眼で見たように言うのは、つまらない。どうせ掛けるなら、他人の知らない眼鏡を。

 

ぼくは自分の中学時代を通して『耳をすませば』を見ます。世界で一番好きな映画です。