僕の心のヤバイやつ2 The Dangers in My Heart 2

 

昨夜(6月18日午前2時)最終回を迎えた『僕の心のヤバイやつ』の第2期が、2024年1月に放送されることが発表された。うれしい。というか、2期なかったら卓袱台ひっくり返してた。

 

中学生の恋愛を描いたTVアニメで、自分がここまで好きになった作品はないかもしれない(「ラブコメ史上最高傑作」との評価をネット上でちらほら見かけるが、異論なし)。中学生の心をここまで丁寧に、大人の思い出補正を極力排除して描いている作品を他に知らない。自分の中学時代が改めて思い出され、このときの感情を描いた作品が「やっと現れたな」と感動を覚える。

 

自分のいま心の中にある気持ちが、世間で「好き」という言葉で表されている感情と本当に同じなのか分からず戸惑う。これが「好き」ということなんだろうか。いややっぱり「好き」じゃないのでは。自己評価が低すぎるせいで、さまざまな兆候があるにもかかわらず自信がもてず、関係を深めることができない。そもそも「好き」とはどういうことなのか。そこに性的欲求は介在してはならないのか、敬意や感謝とどう違うのか、自分のことを知ってほしい気持ちなのか、相手のことを知りたい気持ちなのか。

 

最終回を見終わって思うのは、この作品で描かれていた感情は、恋愛的な意味での「好き」にとどまらず、その限定された「好き」を飛び越え、人の心が人の心を受け入れてゆく、その心のありようだったのかな、ということ。そしてその何と名づけてよいのか分からない心のありようを(まさしく「心のヤバイやつ」を)、ぼくらはひとまず「好き」と呼んでいるのだなと。

 

言葉はいつも指示対象より狭いが、だからこそ言葉はいつも指示対象より濃い。「ありがとう」や「好き」という凝縮された言葉に秘められている広さを、市川と山田に思う。