ストールンプリンセス

 ウクライナのStudio Animagradが制作したアニメーション映画『ストールンプリンセス:キーウの王女とルスラン』(オレ・マラムシュ監督)が、2023年9月22日に日本で公開されます。

 

2018年制作の、すでに世界各国で上映されている映画ですが、このたび日本で公開されることになったのは、Elles Filmsの粉川なつみさんが、ロシアによるウクライナ侵攻を受け、「ウクライナの映画業界に少しでも貢献したいという思いから」(公式サイトより)、自腹を切って配給権を獲得し、クラウドファンディングで資金集めを行なった成果だそうです。

 

『ストールンプリンセス』は、ウクライナ語版では『ストールンプリンセス:ルスランとリュドミーラ』と題されています。『ルスランとリュドミーラ』はロシアの国民詩人プーシキンが1822年に発表した物語詩です。この映画の原案はプーシキンの作品なのです。

 

映画が完成したのは今回の戦争が起こる前でした。ウクライナとロシアは、文化的にも地理的にも本来とても近い国同士で、互いに影響を与え合ってきました。しかし戦争が始まり、ロシアの国民詩人の作品を原案とするウクライナ映画がいま日本で公開されることに、一言ではいえない、さまざまな感情が湧きおこります。

 

日本の公式サイトでは、プーシキン『ルスランとリュドミーラ』について特に説明はありません。そのことに少し傷つき、そしてロシアがプーシキンを傷つけていることに、深い深い悲しみと憤りを覚えます。ロシアは、他国のみならず、自国の文化や芸術も貶め、損なっている。

(この悲しみと憤りは、多くの日本人にとっては想像しづらいかもしれません。こう考えてみてください。夏目漱石『吾輩は猫である』を原作とする映画が他国で公開される。ところが漱石の母国が戦争を始めたせいで、他国では漱石の名前が伏せられている、と。)

 

もっとも、プーシキンは生前からロシアという国に苦しめられており、これはいまに始まった話ではありません。プーシキンはロシアを病んでいる。いや世界はロシアを病んでいる。

 

 

 プーシキン『ルスランとリュドミーラ』は、英雄ルスランが、悪い魔法使いチェルノモールに攫われた王女リュドミーラを探しに冒険の旅へ出る物語です。ウクライナの映画もこの基本路線は踏襲していますが、大胆なアレンジを加えています。実際、2019年にロシアで公開されたときのロシア語版タイトルの副題は「リロード」でした。いわば『更新版ルスランとリュドミーラ』です。

 

映像は、パッと見ディズニーアニメかと見紛うほど見事に作られています。そのためかオリジナリティに欠けるという批判もあるようで、それはそうなのかもしれませんが、しかし登場人物のアニメートの確かさは称讃すべきレベルに達しているように思います。それから、劇中ではPOV視点(一人称視点)が何度か試みられ、いずれも成功しています。話のテンポも軽快で、本当に楽しく映画を観ることができます。

 

また、ヒロインのミラが、活発で負けん気が強く、いわゆる「囚われのお姫様」でないことも、『ラプンツェル』以来のディズニー映画のヒロイン像と一致します。ところがこれは、ディズニーのひそみに倣っているというより、プーシキンの描いたヒロイン像に忠実といったほうがいいでしょう。というのも、物語詩におけるリュドミーラは「少しはすっぱで」、好奇心旺盛で、茶目っ気があるからです。だからこそ愛らしい、というプーシキンの人物描写にはさすが凄みがあります。(この凄みはやがてトルストイに受け継がれるでしょう…。)

 

 

 魔法使いチェルノモールも、プーシキン『ルスランとリュドミーラ』に登場しています。

ここでちょっと脱線しますが、この魔法使い、ウクライナやロシアなどのスラヴ地域に伝わる昔話の登場人物なのか、それとも誰かの創作なのか、寡聞にしてぼくは知りません。どうやらプーシキンより先に、カラムジンという18世紀のロシア作家がみずからの作品のなかに登場させているようで(未確認)、だとすれば、少なくともプーシキンの創作ではなさそうです(たぶん)。

 

ダーリの辞典(19世紀ロシアの有名な辞典)には、チェルノゴールという、昔話に出てくる悪い魔法使いが立項されています。「ゴール」はロシア語で山を連想させることから、ロシア語で海を連想させる「モール」に言葉を替え、チェルノモールという新語を(遊び心で)造ったのではないか、とぼくは勝手に想像しています。

 

またプーシキンは、『サルタン王の物語』という詩にもチェルノモールを再登場させています。このチェルノモールは、海に因んだ人物で、おまけに肯定的に描かれており、『ルスランとリュドミーラ』の魔法使いとはまったく異なる性格付けをされています。このように、チェルノモールには決まったイメージがないようですので、やはりスラヴの昔話に伝わる魔法使いではないのかもしれません(あくまでぼくの想像ですが)。

 

 

 さて、『ストールンプリンセス』はプーシキンの作品を下敷きにしている、と散々くり返してきました。しかし、実はそのプーシキンの作品の舞台はキーウ、つまりウクライナです。作中に「穏やかな平和がキエフに降り来るだろう」と記されています。ウクライナの制作会社が、ウクライナを舞台とする『ルスランとリュドミーラ』を原案として映画を制作したのは、まことに当を得たことだといえるでしょう。