Column1)   第4回 オベリウとチナリ

 

「ハルムス」という名前と「オベリウ」というグループ名は分かち難く結びついています。実際、ハルムスは仲間たちとオベリウを結成、そこで盛んに活動を行いました。しかし、彼の所属した文学グループはオベリウだけではありません。オベリウよりも前に彼は「チナリ」というサークルに参加していて、そのメンバーたちと頻繁に会って様々なことを話し合っていました。オベリウにもチナリにも所属しているメンバーは何人もおり、オベリウの中核はチナリの人々が占めていたとさえ言えます。

 これまで日本ではオベリウばかりが注目され、チナリはほとんど紹介されてきませんでしたが、共に重要なグループであるという認識はもっと広まるべきだと思います。

 オベリウは1927年10月に結成されました。ただし、このグループの母体はそれ以前にすでに存在しており、「ザーウミ派結社DSO」「ラジクス」「左翼」「左翼派古典作家アカデミー」といったグループが存廃を繰り返し名称を変更していった末に出来上がったというのが実情です。

 メンバーにはハルムスの他にヴヴェジェンスキー、ザボロツキー、バーフテレフ、ヴァーギノフ、レーヴィン、ラズモフスキー、ミンツ、それに後に加入したウラジーミロフ等がいました。

 オベリウには文学部門以外にも、造形芸術部門、演劇部門、映画部門が設けられており、さらに音楽部門の創設も視野に入れられていました。このように、オベリウの関心は芸術全般に及んでおり、また演劇を上演したり詩の朗読会を開くなど、公然と活動してスキャンダラスな騒ぎを巻き起こしていました。

一方チナリはといえば、ドゥルースキン、リパフスキー、ヴヴェジェンスキーが元々のメンバーで、そこにハルムス、オレイニコフ、ザボロツキーらが加入しました。

 オベリウが世間に開かれた文学グループであったのに対し、チナリは私的な文学サークルだと言ったほうがいいでしょう。チナリとして公衆の面前で活動することはなく、メンバー(特にリパフスキー)のアパートに集まっては哲学談義に耽りました。

 オベリウが芸術全般に目配りしていたのに対し、チナリには哲学的・神秘的な傾向が強く、神や存在や認知といった問題を話し合うことが多かったようです。

 チナリの理論的支柱はリパフスキーであり、その「使者」や「隣の世界」といった概念はドゥルースキンに深い感銘を与え、またハルムスの著作にも影響を及ぼしています。

 このように、メンバーこそ部分的に重なっていますが、オベリウとチナリはその基本的性格を異にする全く別個のグループです。

 

(2015年1月3日)

 

 

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